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東京地方裁判所 平成2年(ワ)12875号 判決 1991年11月28日

原告

有限会社すとう

右代表者代表取締役

周藤行則

右訴訟代理人弁護士

加茂隆康

被告

百瀬二三男

右訴訟代理人弁護士

大澤公一

主文

一  被告の飼犬シェパード(牡。愛称「マリブ」)が平成二年九月二五日原告が営む動物病院において手術中に死亡したことにつき、原告が被告に対し何らの損害賠償債務も負わないことを確認する。

二  被告は、原告に対し、金五万一〇〇〇円及びこれに対する平成二年一〇月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、前記住所地で、「すとう動物病院」(以下「原告動物病院」という。)を設置し、犬、猫をはじめとする動物に対する診療を業務とする会社であり、原告会社の代表者(以下「原告代表者」という。)は、獣医師であって、原告動物病院の院長である。

2  被告は、平成二年八月二七日、被告の飼犬のシェパード(牡。愛称「マリブ」。以下「本件飼犬」という。)を連れて原告動物病院を訪れ、原告代表者に対し、本件飼犬が他の動物病院において犬フィラリア症に罹患していると診断されたことを告げて、フィラリアの検査及びフィラリアの成虫がいる場合にはそれを除去する手術を委任した。

3  原告代表者がまず血液検査を行ったところ、本件飼犬の血液中には無数のミクロフィラリア(フィラリアの子虫)が発見されたので、早晩その心臓に寄生するフィラリアの成虫を除去する手術が必要と判断したが、血液中のミクロフィラリアの数をできる限り減少させてからその手術をする方が危険が少ないため、原告代表者は、被告に対し、ミコクロリーナーという経口薬を交付して、本件飼犬にこれを毎日投与することを勧めた。その後三回の血液検査の結果、平成二年九月一二日ごろ、開胸手術になじむ時機が到来した。

4  平成二年九月二五日、原告代表者は、被告の要請に基づきフィラリアの成虫を除去するため、原告動物病院において、心電図検査と超音波による心臓検査を行い、その結果、本件飼犬の心臓にフィラリアの成虫を確認し、この心臓に寄生している成虫を除去するための開胸手術を始めた。しかし、心臓から成虫を取り除いている過程で、心臓の鼓動が弱まり、急遽閉胸することにしたが、その措置中に本件飼犬は、犬フィラリア症と先天的心室拡張とに伴う心停止により、死亡した。

5  犬フィラリア症は、愛犬家が経口予防薬により通常予防し、かつ、一〇〇パーセントその予防の効果を上げることができるものであるのに、被告は、本件飼犬について現実には全くその予防方法をとらないで本件飼犬がこれに罹患するに任せたため、本件飼犬が死亡するに至ったものであり、本件飼犬の死亡は、被告のこのような管理の誤りに専らその原因があり、原告代表者には、その死亡につき、何らの過失も、責めに帰すべき債務不履行もなかった。

6  しかしながら、被告は、平成二年九月二六日、黒のスーツを着た男数名をひき連れて原告動物病院に押し掛け、原告代表者とその妻とに対し、「あの犬は、稲川会の会長から預かっていたものだ。どうしてくれる?」、「誠意を見せろ。」「いつかお前がだれかに危害を加えられることだってあるかもしれないぞ。」などと大声で威嚇し、暗に損害賠償金の支払を求め、被告に対し終始原告動物病院に何ら責任がない旨の説明をする原告代表者の話を聞こうとはせず、その後も、被告は、原告に対し、損害賠償金を請求する姿勢をくずしていない。

7  ところで、前記開胸手術については麻酔料、手術料等合計金五万一〇〇〇円(以下「本件診療報酬等」という。)を要したので、原告は、平成二年一〇月一日到達の請求書をもって、被告に対し、右金員を同月五日まで支払うよう請求した。

8  よって、原告は、被告に対し、本件飼犬の前記死亡について原告が何らの損害賠償債務も負わないことの確認を求めるとともに、本件診療報酬等金五万一〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成二年一〇月二六日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は、認める。

2  同2のうち、フィラリア除去手術の委任をしたことは否認し、その余は認める。

3  同3のうち、原告代表者が本件飼犬の血液検査をしたこと及び原告代表者がミコクロリーナーを交付してその経口投与を勧めたことは認め、その余は知らない。

4  同4のうち、フィラリアの成虫を除去するための開胸手術が行われたこと及びその開胸手術の過程で本件飼犬が死亡したことは認め、原告代表者が被告の要請に基づきフィラリアの成虫を除去するため心電図検査と超音波による心臓検査及び本件飼犬の心臓に寄生している成虫を除去するための開胸手術を行ったこと並びに本件飼犬の死因が犬フィラリア症と先天的心室拡張とに伴う心停止であったことは否認し、その余は知らない。

5  同5は、否認する。

6  同6のうち、被告が原告動物病院を訪れ、原告の誠意のない対応から若干強圧的な態度を示したこと及び平成二年一〇月二五日に被告が原告に対し損害賠償の請求をし、その損害として本件飼犬自体の時価金六〇万円と慰謝料金二〇万円との合計金八〇万円を請求する意思であることは認め、その余は否認する。

7  同7のうち、原告が被告に対し本件診療報酬等の支払を請求したことは認めるが、被告のその支払義務については争う。

第三  証拠<省略>

理由

一フィラリア成虫除去手術の委任の有無について

1  請求原因1(原告会社の業務、原告代表者の資格、地位等)の事実、同2のうち被告が平成二年八月二七日本件飼犬を原告動物病院に行かせ、原告代表者に対し、本件飼犬が他の動物病院において犬フィラリア症に罹患していると診断されたことを告げて、本件飼犬について診療を依頼した事実及び同3のうち原告代表者がまず本件飼犬の血液検査を行い、その血液中のミクロフィラリアを減少させるためのミコクロリーナーという経口薬を被告に交付して、本件飼犬に投与することを勧めた事実は、いずれも、当事者間に争いがない。

2  原告代表者の尋問の結果及び<書証番号略>、証人掛川洋一の証言並びに弁論の全趣旨によれば、(1)被告は、本件飼犬を、平成二年八月二七日の初診の日の後、同年九月五日及び同月一二日にそれぞれ原告動物病院に受診に行かせ、それぞれの日に、原告代表者が血液検査をしてミクロフィラリアの数を調べ、ミコクロリーナー又はカルドメックというミクロフィラリア減少のための経口薬を交付して、その投与を勧めたこと、(2)同月二五日の約一週間前に、被告が原告代表者に電話し、「本件飼犬についてフィラリアの成虫の除去のための手術を早くしてくれ。早くしないと危ないんじゃないか。」との要請があり、原告代表者は、これに応じて、平成二年九月二五日に手術をする旨を答えたこと、(3)同日午前九時ころ、被告は、本件飼犬を原告動物病院に行かせ、原告代表者は、本件飼犬を連れてきた被告の被用者掛川に対し、「午後一時から手術をするから、本件飼犬を原告動物病院に預けておき、午後一時に麻酔をする時まで立ち会うように」と告げ、掛川がこれを承知し、掛川は、いったん被告の方に戻り、午後一時に原告動物病院を訪れてその麻酔の処置に立ち会ったことの各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  以上1及び2の事実を総合すると、被告は、遅くとも、平成二年九月二五日午前中までには、原告代表者に対し、原告動物病院において本件飼犬についてフィラリアの成虫を本件飼犬の心臓から除去する手術をすることの申込をし、原告代表者がこれを承諾し、もって、被告と原告との間で右の手術を行う有料診療の準委任契約が締結されたことを推認することができる。

二フィラリア成虫除去手術の実施と本件飼犬の死亡の原因について

1  平成二年九月二五日に本件飼犬についてフィラリアの成虫を除去するための開胸手術が行われたこと及びその開胸手術の過程で本件飼犬が死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  <書証番号略>、原告代表者の尋問の結果並びに<書証番号略>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  犬のフィラリア症は、それが高ずると、顕著な症状が現れなくても、循環機能不全により、突然死の結果を生ずることがある危険な病気であるとされている。

(二)  原告代表者は、前記の九月二五日、開胸手術の前に、本件飼犬の心電図検査と超音波による心臓検査を行い、その心臓に著しい変化がないことを確認するとともに、本件飼犬の心臓にフィラリアの成虫を確認し、これに続いて、自己を含む四人のスタッフが関与して、この心臓に寄生している成虫を吊り出し除去するために必要な皮膚、筋、心のう等に対する最小限の切開をし、いわゆるスパゲッティ縫合糸を装着する等の、教科書に書かれているとおりの開胸手術を行い、一三回にわたり、一〇数匹の成虫を吊り出し除去した。

(三)  この反復的な吊り出し作業の途中であったが、一三回目の吊り出し後に、本件飼犬に心拍数の減少が現れ、四人のスタッフの判断で、除去作業を止め、心臓を閉じることとし、心臓を実際に閉じて閉胸手術に入ろうとしたところ、心臓の期外収縮が出、急遽メイロン、アトロピンの静脈注射をしたが、一時心停止となり、手で心マッサージをし、いったん回復したが、すぐまた、反応しなくなって心臓が停止してしまい、ついに死亡した。

(四)  本件飼犬が死亡した日の翌日の九月二六日、東京大学農学部獣医病理学教室で、後藤教授及び中山教授により、本件飼犬の解剖が行われ、右心室に約一〇隻、右心房から大動脈にかけて五隻のフィラリア成虫が寄生していること、心室が左右ともに拡張し、特に右心室のそれが著しく先天的心拡張であること、全身にうっ血があること等が認められ、その死亡診断として、本件飼犬の主な死因がフィラリア症、副次的な死因が心室拡張と判定された。

(五)  犬の先天的心拡張は、極めて希有の症例であり、本件飼犬についても、開胸手術の際には、フィラリア症一般に見られるような通常の心拡張であると診断されたが、右解剖により、それが通常のものにとどまらず、先天的な心拡張であることが判明したものであり、これを手術前に予見することは不可能であったものである。

以上の事実が認められ、前掲掛川証言のうち本件飼犬の死亡については原告代表者の手術ミスもある旨の供述部分は、単なる推測の域を出るものではなく、前掲各証拠に照らし、これを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3 右2の認定事実によれば、本件飼犬は、主には、顕著なフィラリア症により、すなわちフィラリアの成虫の多数寄生により心臓が拡張して生じた血液循環等の循環機能不全により、副次的には、他にほとんど例を見ない先天的心拡張のため生じた循環機能不全により、たまたま本件飼犬の開胸手術中に、その心停止が生じて死亡したものと推認するのが相当である。

しかして、<書証番号略>及び原告代表者の尋問の結果によれば、犬フィラリア症は、愛犬家が経口予防薬により通常予防している病気であり、その予防をしないとほぼ一〇〇パーセント罹患するものであると同時に、その予防をしさえすれば、一〇〇パーセントその予防の効果を上げることができるものであることが認められるところ、前記一に判示した事実から推すと、本件飼犬は、原告動物病院に来院する相当以前にこれに罹患していたものであり、かつ、右の死因の認定が、結局、本件飼犬が、本件開胸手術のときまでにはそのフィラリア症が究極の症状を示すまでの状態に達していたことを意味するものであるから、これらを総合すれば、被告は、本件飼犬について全くフィラリア症の予防方法をとらないで本件飼犬がこれに罹患するのに任せたため、本件飼犬が死亡するに至ったものであって、本件飼犬の死亡は、被告のこのような管理の誤りに基づくものというべきである。

したがって、本件飼犬の死亡により本件飼犬に対するフィラリアの成虫の除去手術の完遂という準委任契約に基づく診療の債務の履行が結果的に不能となったが、その債務不履行については、原告代表者ひいては原告には、その責めに帰すべき事由がなかったものといわなければならない。

それと同時に、以上の認定によれば、原告代表者には、本件飼犬の死亡につき、何らかの過失があったものとも到底いうことができず、他にその過失があったことを認めるに足りる証拠はない。

4  そうだとすれば、原告の請求のうち、原告が被告に対し、本件飼犬の死亡につき、原告が不法行為による損害賠償債務も、債務不履行による損害賠償債務も一切負わないことの確認を求める部分は、正当というべきである。

三本件診療報酬等の支払義務について

<書証番号略>並びに原告代表者の尋問の結果によれば、前記のとおり本件飼犬に対して実施された開胸手術については麻酔料、手術料等合計金五万一〇〇〇円の本件診療報酬等を要したこと(請求原因7関係)が認められ、また、原告が平成二年一〇月一日到達の請求書をもって被告に対し右金員の支払を請求したことは、当事者間に争いがない。

右認定事実によると、前記一、3認定のとおり、被告と原告との間で右の手術を行う有料診療の準委任契約が締結されていたのであるから、被告は、原告に対し、右の本件診療報酬等金五万一〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成二年一〇月二六日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。

四よって、原告の請求は、いずれも、理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官雛形要松)

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